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毎日の院長 改め、日々雑感

週末の院長だけではご不満な方、新バージョンを作りました。

就職

苦節ん年、息子が教職員採用試験に受かった、らしい。らしい、というのは、何回か、不合格通知を見せてもらっていた身としては、実際の合格通知を目で確かめないと、なかなか信じられぬ、と言うこと。
高校の友人にも教員は多く、そろそろ大量退職の時代だから採用は多いので入りやすいんじゃないの?、って言われていたが、倍率が2倍であっても、10倍であっても、合格点がなけりゃ入れんだろう。アナログ人間としてはネットの受験番号だけじゃなく、印字された紙で確かめたい。

ちなみに、私、就職試験というのは受けたことがない。さあ、何するべかなあ、って思いつつ、みんなが地元に帰って公務員試験なんかを受けているのを横目でみながら、何もしなかった。就職を決めたのは、国家試験が終わった3月。
うちの大学、酪農学園大学は、実学主義を売り物にしていた。当時の獣医学科は8-90%は男子で、その多くは大動物の臨床に進んでいた。地元で大動物をできる友人なんかは、地元に帰って共済とか、酪農組合なんかに就職していたが、大阪でそんな仕事があるわけではなく、当時は大阪に帰る気もなかった。3月になって初めて、大学の先生に、北海道共済、どこかありませんか?、って聞くと、電話一本で某共済組合と話をつけてくれ、面接や試験があるわけでもなし、ほんなら4月からおいで、で、終わってしまった。

ちなみに、その時、中空知共済組合と、北清水共済組合、だったかを紹介された。空知の方が近かったのでそっちを選んで、もう一人、同じ境遇だった友人が清水の方へ行った。北清水共済組合には、例の、動物写真家、竹田津実さんがおられた。当時は生き物とかにはそんなに興味もなかった(アニマは愛読していたけど、今の自分みたいに、生き物を「研究する」なんて、考えもしなかった)し、竹田津さんも有名じゃなかった。さあ、そっちを選んでいれば、私の「人生」も違ったものになっていたかなあ。

1年間、正確には11ヶ月最初の共済組合に勤め、友人に誘われ、共済組合を移った。その時も、採用試験も面接も無かった。いつからおいで、で、おしまい。


そういえば、新入職員の歓迎会にも、Gパンと普通の仕事着で出席した。、スーツやネクタイなんか、考えもしなかった。先輩の職員があわてて、自分のブレザーを貸してくれたのを思い出す。
うーーん、(今でもそうだけど)当時も、常識、なかったんだなあ。

DSC02885.jpg







と言うのを書いたのが数日前。その後無事に、紙の合格書が届きました。
基本的に、息子の人生に私が関与すべきじゃないし、するつもりもありません。何があってもすべて彼の責任で、勝手に生きてくれりゃいいんだけど、まあ、めでたい事はめでたい。
  1. 2012/10/27(土) 18:32:24|
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