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毎日の院長 改め、日々雑感

週末の院長だけではご不満な方、新バージョンを作りました。

どうして親まで?

秋葉原での事件。
親の謝罪会見、というのが流れていた。あるテレビ局では、「淡々としていて反省の念がありませんねえ」とまで言われていた。
反省、謝罪、って、親にどこまでの責任があるの?

報道では25才。明らかな成人。
50,60才の犯罪者で、親がどうのこうのというのは聞いたことがない。どこで線引きするんだろう?
家庭環境が悪かった、とか、明らかに教育が間違っていた、とか言われても、同じような環境の子供はいくらでもいる。それらがみんな、同じ犯罪を犯すとは思えない。やっぱり、「こういう世の中がこういう人を作っている」のであって、「親がそういう人を作っている」んじゃないと思うんだが。

あまりにも親が望んでいない子供が出来上がれば、子育てに失敗したとも言えるのかもしれないが、良い言い方をすれば子供の自我が強く出たとも言えるだろうし、世間で言う、トビがタカを産んだ、てな話はいくらでもある。親の思い通りの子供が出来たとすると、子供の自主性を押さえつけて抑圧している、とも言えるかもしれない。親の過剰な期待が子供をダメにするという話もよく聞く。


こういう事件は、これから裁判員制度にのっかるんだろうか?よく話題にはなっているが、裁判員制度って、さっぱりわからない。陪審員制度と同じと思って良いのか、全く違うのか。
一般市民を裁判に「強制参加」させることに何の意味があるのか。裁判を「お上」に任せてしまうのは江戸時代からのやり方だと思う。いきなり、あんたも参加せよ、と言われてもねえ。アメリカでの、開拓時代のやり方(陪審員???、一般市民が罪人を裁いていた??)とは歴史が全然違うように思うけど。

日本人みたいに自己主張が弱い人種では、結局は裁判官の言葉に引っぱられると思うが。

本来、「永山基準」で、何人までの殺人は無期、何人以上は死刑、みたいな暗黙の了解みたいなのがあったと思うんだが、こないだの長崎市長の件では死刑判決が出ている。他の事件で殺された遺族にとっては、自分の親が一般市民だったので加害者が無期、というのでは納得できないだろうと思う。

厳罰が犯罪を抑制するとも思えないけど、目には目を、歯には歯を、てな考えは時代錯誤とはいえ、市民感情の根元はこのあたりにあると思う。最近は厳罰傾向で死刑の乱発で、裁判員制度がそれを加速させるようにも思うが。


  1. 2008/06/11(水) 08:12:38|
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